8月7日、新宿のホテルで産経新聞大阪本社の取材を受ける。
シリーズ企画
「日本人の源流 神話を訪ねて 古事記編纂1300年」
第2部にからむ取材だ。
担当の記者が、中西輝政先生との共著
『古事記は日本を強くする』(徳間書店)を読んだらしい。
それにしても、このシリーズは大阪本社の企画なので、
東京本社の記者による取材ではなく、
大阪本社の記者がわざわざ上京しているのが、面白い。
8月8日、兵庫県加古川市へ。
地元ホテルの日本料理屋で、神社関係者3名と夕食。
その中の1人は、大学時代の同級生。
彼が神戸市の湊川(みなとがわ)神社
(ご祭神は楠木正成、旧別格官幣社)の宮司になっていたとは
知らなかった。
「湊川の宮司さま」といったら、雲の上の存在と思っていたが。
長年、精勤に神明奉仕を続けて来たのだろう。
湊川神社にはずいぶん前に講演で招かれて、
お邪魔したきりだ。
今回は無理だが、改めて機会を作って、お参りしよう。
言うまでもなく、この神社の境内には、
水戸黄門(徳川光圀)が元禄年間に建立した
「嗚呼忠臣楠子之墓」がある。
この日の会食は、料理もさることながら、
地酒の「倭小槌(やまとこつち)」がめっぽう美味しかった。
同ホテル一泊。
8月9日、三木市へ。
現任神職の研修会初日、
午前の部で、皇室について講演。
最後に女性宮家にも言及。
「天皇陛下の最大のご心労は、皇統の将来の見通しが、
定かでないこと。
その陛下のご心労と、
宮内庁長官や前侍従長の女性宮家創設に向けた一連の働きかけが、
無縁であるとは考えにくい。
側室不在の状況下、男系のみに拘っていては、
皇室の末長いご安泰は望み難い」などと訴えた。
昼食は、午後の講師の神社新報関西支局長、
松本滋氏と一緒だった。
氏いわく、
「天皇陛下ご自身が被災地にお入りになったのは、
色々調べたけれど、今上陛下が初めてではないか」と。
これは思いつかなかった。
確かにその通りだろう。
いずれ雑誌『悠久』(鶴岡八幡宮)に、
そのことを発表されるという。
楽しみだ。
彼と別れて、ふと、被災地が初めてなら、
戦跡へのご訪問も、今上陛下が初めてだろう、と思い当たる。
ちなみに、三木市は、古代の播磨の縮見(しじみ)あたりを含む。
播磨の縮見は、5世紀後半、
第22代清寧天皇の後、史上初の皇統断絶の危機に見舞われた時、
第17代履中天皇の孫にあたるオケ(第24代仁賢天皇)
・ヲケ(第23代顕宗天皇)の
ご兄弟が見出だされた 地だ。
古代の皇統の危機を救ったゆかりの地で、
女性宮家についてお話出来たのも、思えば不思議な因縁か。
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